人生の目標について

こんにちは。

 

この度は、「内向きな人生の目標」について、今考えていることを書き起こします。

 

僕の人生の目標は、「価値判断基準が自分の中にある人間になること」です。

つまり、他人のリアクションにかかわらず、自分の考えや意見をしっかりと持った、芯のある人のことです。ここで注意したいのは、他人の意見を全く聞き入れない、頑固な人物の話をしているのではないということ。そもそも、僕のいいところは、他人の意見や立場を尊重できる柔軟なマインドだと思っているので、そこは変わらず大切にしたいです。

しかし、この柔軟性にはデメリットもあると感じています。それは僕が「自分の意見を持てない」ことに表れています。思い返すと、小学校のころから、他人と対立することや間違うことをできるだけ避けてきた人生でした。グループの一員として認められることに多大な犠牲を払ってきた、そしてそれによってみじめな自分を保っていた、そんな自分にもやもやすることが最近多くなっています。他人の目が怖かった。。陰口が怖かった。。仲間はずれが怖かった。。とりわけ面白いわけでもない僕がグループの一員であり続けるには、求められた言動を”柔軟に演じる”ことが最適だと感じていました。

 

そして月日は流れ、僕は今大学4年です。人生や生き方について考える中で、留学等の海外での経験が大きく役立っていると感じます。

僕は留学当初、自分にある程度の自信がありました。英語も話せないわけではないし、シャイながら友人作りも何とかなると思っていました。けど、実際ヨーロッパに行ってみて、学生の会話についていけない、何について会話しているのか理解できない、理解できないがゆえに会話に参加できない、ということに落胆しました。英語を母国語としない学生がみんな流暢に話しているのを目の当たりにして、まずはリスニングを鍛えないと始まらない、そして考えていることを伝えないと興味を持たれない、と感じました。しかも、彼らは圧倒的に内省ができている。自分が好きなもの、嫌いなもの、したいこと、したくないことを明確に伝えることができます。それはひとえに、彼らが自分自身を知っているから。留学中に出会った、ゲイも、ヌーディストも、放浪するバンドウーマンも、みんな自分を理解して、自分を大切にして生きていました。一方の僕は自己紹介さえままならず、他人に合わせて生きることに精一杯です。

 

こんな違いをまざまざと見せつけられ、僕の中では、彼らみたいに自己をうまく表現できるようになりたいという気持ちが膨らみました。(そもそもほとんどの場合、表現できないと関心を持ってもらえない)彼らがこうして彼ら自身を発信できているのは、たくさんの”自分”に出会って、その中からしっくりくる自分に出会えたからだと思います。僕のすべきことは、まずいろいろチャレンジすることであり、そしてそこで失敗をすることが次の一歩の踏み台を創ります。いろんな”自分”を知って、そこで見つけた「好きな自分」でいられる時間を多く過ごすことが、幸せな人生をもたらすと思います。「好きな自分」、そこには他人が介在する余地はありません。他人軸から少しずつシフトして、自分軸で回る人生を生きていけたらと思います。そして、それの行き着く先が、僕の理想である「価値判断基準が自分にある、芯を持った人」です。

 

end